ミュシャ
アルフォンス・ミュシャ Alfons Maria Mucha
(1860〜1939)
- 1860 アルフォンス・マリア・ミュシャ,7月24日にチェコスロヴァキア南モラヴィア地方のイヴァンチッツェに生まれる。父親は裁判所官吏オンドジェイ・ミュシャ,母親はアマリエ・ミュシャ。
- 1873 知られている最初のデッサン制作。ウスティー・ナド・オルリツィー合唱団の聖歌集の表紙を制作(最初の公的な仕事)。
- 1879 ウィーンに行き,舞台装置などを製作,チェコ民謡の挿絵を試みる。
- 1885 ミュンヘン美術学校の試験を受け,入学(卒業は1887年)
- 1888 《ファウスト》を題材とした絵画を制作。
- 1889 パリの雑誌『舞台衣装』にサラ・ベルナールの挿絵を描く。
- 1899 パリ万国博覧会のボスニア=ヘルツォゴヴィナ館の装飾とオーストリア=ハンガリー帝国の博覧会ポスターおよびカタログ表紙の注文を受ける。装飾パネル《羽根》と《桜草》,《夜明け》と《黄昏》,連作装飾パネル《1日の4つの時》を制作。ミュシャ挿絵,解説による『主の祈り』をピアッツァ社より刊行。
- 1900 サラ・ベルナールとの契約終了。宝飾店フーケのためのデザインを始める。ラリック,ガレ,グラッセらと共にボルドーでの第2回近代美術協会展に出品。
- 1901 装飾パネル《つた》と《月桂樹》制作。
- 1902 パリで『装飾資料集』刊行。
- 1921 《スラヴ叙事詩》5点をシカゴ美術研究所とブルックリン美術館(ニューヨーク)で展示する。
- 1924 2月,《スラヴ叙事詩》のうち《王プジェミスル・オタカル2世》をプラハ市に贈る。9月,《スラヴ叙事詩》のうち《グリュンバルトの戦いが終わって》をプラハ市に贈る。
- 1925 《スラヴ叙事詩》のうち《ヴィトコフ山の戦いが終わって》,《フス教徒の王イージー・ズ・ポジェブラディ》をプラハ市に贈る。
- 1928 10月,《スラヴ叙事詩》全20点がミュシャと資金援助者のチャールズ・R・クレインによりチェコ国民とプラハ市に贈呈され,プラハ市の見本市宮殿で展示される。
- 1939 7月14日,プラハにて死去,ヴィシェフラッド墓地に埋葬。
詩の神 |
技法 |
リトグラフ |
絵柄サイズ |
縦630o × 横400o |
絵の状態 |
良 好 |
サイン |
作家直筆鉛筆サイン有り |
限定部数 |
91 |
額サイズ |
縦o × 横o |
額 |
木製額縁 |
当社額付価格 |
★★カートの中を見てね★★ |
ご注文 |
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参考額付上代 |
¥240,000 |
音楽の神 |
技法 |
リトグラフ |
絵柄サイズ |
縦640o × 横400o |
絵の状態 |
良 好 |
サイン |
作家直筆鉛筆サイン有り |
限定部数 |
EA |
額サイズ |
縦o × 横o |
額 |
木製額縁 |
当社額付価格 |
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ご注文 |
|
参考額付上代 |
¥240,000 |
ベルーネット |
技法 |
リトグラフ |
絵柄サイズ |
縦350o × 横270o |
絵の状態 |
良 好 |
サイン |
作家直筆鉛筆サイン有り |
限定部数 |
EA |
額サイズ |
縦600o × 横500o |
額 |
木製額縁 |
当社額付価格 |
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ご注文 |
|
参考額付上代 |
¥180,000 |
秋 |
技法 |
リトグラフ |
絵柄サイズ |
縦600o × 横295o |
絵の状態 |
良 好 |
サイン |
作家直筆鉛筆サイン有り |
限定部数 |
153 |
額サイズ |
縦 o × 横 o |
額 |
木製額縁 |
当社額付価格 |
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ご注文 |
|
参考額付上代 |
¥180,000 |
冬 |
技法 |
リトグラフ |
絵柄サイズ |
縦600o × 横295o |
絵の状態 |
良 好 |
サイン |
作家直筆鉛筆サイン有り |
限定部数 |
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額サイズ |
縦 o × 横 o |
額 |
木製額縁 |
当社額付価格 |
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ご注文 |
|
参考額付上代 |
¥180,000 |